将来、子供に伝えたいお金の話

3歳児のワーママです。子供が将来お金に困らないように親ができること。私の経験と知識を記録しておくことだと思っています。FP2級保有。

Weekly Ochiai 山邉鈴さんとの対談を見て~子どもの未来のために私ができること

こんにちは、ゆーママです。

 

WEEKLY OCHIAI 山邉鈴

早速ですが今日はnoteでバズって話題になった

10代、山邊鈴さんが落合陽一出演のNewsPicksのWeeklyOchiaiにゲスト参加されていた。

WEEKLY OCHIAI シーズン4 | 【落合陽一】子どもの教育格差と自己責任論 (newspicks.com)

 

山邉さんのnoteはこちらです↓

この割れ切った世界の片隅で|鈴|note

 

私的要約

内容を私なりにすごくざっくり要約するとこうなる。

「都会育ち田舎暮らしに比べて多様な価値観や経験に出くわす機会が多く不平等である」

これを山邉さんは「普通」という言葉を使って表現している。

都会暮らし(=裕福層)と田舎では普通のレベルが違う。

田舎では「生きているだけで幸せ!」という認識が普通。

それが都会に行くとグローバルや社会問題の視点を持ち合わせるのが普通。

そう言っているように私は感じた。

 

感じたこと

【普通の定義のレベル感】

山邉さんの気持ち、私が最近感じたものと似ている。

私は社会人になってから10年所謂都会に住んでいた。

会社のある港区から電車で6駅、どこにでもアクセスできる場所に家があった。

でも息子がこの後成長するにつれ色々感じるところがあり、

埼玉の西部に今は住まいを持っている。

東京から電車でたったの1時間のところで、

同じ日本なのに経済格差と呼べるものは歩くだけですごく感じる。

例えば街並みの洗練度、道路の舗装完成度、公園の清潔さ、

今まで住んでいた普通が日本の普通だと思っていたけど、

全然違うことに驚いた。

 

そう思うと山邉さんの言っている

都会暮らし(=裕福層)と田舎では普通のレベルが違う。

というのは非常に腑に落ちるし共感した。

 

ただ一方で、都会だろうが田舎だろうが、

「生きているだけで幸せ」「今現状を変えなくてもよい」と考えている人は

日本中ある一定数存在すると思う。

それと同じく、向上心のある人もどこに行っても一定数存在する。

イメージとしてはこんな感じ⇩

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向上心のある人と現状維持派はどこに行っても一定数存在する

 

その中で、東京や都会は向上心ある人が集まっていて、

それがまた人を呼んで雪だるま状に大きくなり、

そういった方々の発信力が大きいため、東京全体がキラキラして見える。

でも、それが東京のすべてじゃないんだろうと思う。

 

そして「生きているだけで幸せ」の人はそれでいいんですよね。

全ての人が幸せに生きれるよう願っている世界では、色んな考え方があって当たり前。

 

多様性が普通になれば良いな

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WEEKLY OCHIAIとnoteを拝見し、思い出したのは大学時代の人間関係。

私がこれまで生きてきて大学時代が一番しっくりきたのです。

大学には本当に多様な人がいた。

・将来首相になると豪語し、勉強する人

・大学の勉強よりも起業に専念する人

・いわゆるがり勉

・麻雀と酒とたばこに明け暮れ留年する人

・大学での勉強は単位をとれるかどうかで考えそれ以外バイトに明け暮れる人

・夏と春休みになると音信不通になり世界中バックパックしてくる人

みんな私の友達だった。

みんながみんな他者を認め尊敬ていた。

その関係がとっても心地よかった。

 

学校教育での「同調圧力

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地方へ行くとしがらみが強く、出る杭は打たれる傾向にあるとよく聞く。

同調圧力

でもこれ、私は学校教育で感じていた。

いつの頃からかグループができて、グループでは同じ興味関心がないとだめで、

何なら一緒にトイレまで行かなきゃいけない。

私はこれ本当に苦手だった。

だって私の興味関心は変わるものもたくさんあるし、

その時々で話したい人も変わるし、

だからと言って今まで話していた人のことが嫌になったわけじゃない。

一定のグループにいると、自分の中の空気が重くなっていって、

新鮮な空気を吸いたくなる。そんな気持ち。

そしてこの重苦しい時間は今でも時間の無駄だったと思う。

その鬱蒼とした時間を前向きな何かに費やせたのではないかと思う。

 

これからの子供へ

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この風潮はあれから20年たった今でも続いているのだろうか。

息子には、息子の生きたいように生きてほしいと思う。

貴重な時間を大切に使ってほしいと思う。

そうなるために、今私は何ができるだろうか。

今、息子は3歳。三歳だから何も知らないと思いきや、結構真意をついた質問をしてくる。

時には壮大すぎて答えに窮する質問も不意打ちに来る。

(月はどうして形をかえるの?とか、どうして水は下におちるの?とか)

そんな彼の素朴且つ壮大な質問に、母はできるだけ真摯に答えを提供したいと思っている。

彼の目線になってかみ砕いて説明するようにしている。

 

思考の強制をせずに、ただただ世界の様々な現象を見せたいと思う。

今起きていることが事実だということを受け止められるように。

 

そして、私にできることがあれば、

ぜひぜひ皆さんのお知恵を借りたいです。

インターネットの力を借り、教えてほしいです!!!

 

終わりに

WeeklyOchiaiの後、noteを読んで、

山邉さんの頃の自分と照らし合わせ回想し、

今の私と山邉さん、それから10代の私と照らし合わせてみた。

そんな時間を取れたのが、なんだかうれしかった。

(実際はじっくり時間を取れたわけではなく、途中で起き抜けに躓いて転んで泣いている息子により回想の時間は解かれたが💦)

 

今の世の中、コロナで世界が目まぐるしく変化している。

毎日毎日先が見えずに日常を過ごしている。

そんな中でこのトピックに出会い、過去を思い出し考えるキッカケとなったのは

なんだか新鮮な気分で、いつも通り家にいたけど頭の中だけ外に飛び出した感覚だった。

 

そして、私も30代になり、子供も持って色んな経験をしてきたからこそ

共感と自分との違いを見出せるようになったのは、なんだか人生に深みが出てきたようで面白い。

 

良い時間を与えてくれた山邉さんと落合陽一さんに感謝。

そして、お二人をツイッターでフォローしました。